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成美学園高等學校
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新設男子硬式野球部
一緒に甲子園目指しませんか?
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監督から皆さんへ
須長監督

成美学園高等學校が2025年4月から硬式男子高校野球部を創設します。
監督の須長三郎氏は、埼玉県で数々の実績を残してきた名将であり、その指導力と成績は顕著なものがあります。春夏合わせて3回の甲子園出場を果たし、埼玉県の高校野球界においてその名を轟かせた実績を持っています。須長氏は単なる野球の技術だけでなく、選手たちに対して人間としての成長を重視した指導を行ってきました。彼のもとで育った選手たちは、卓越したスポーツマンシップや精神力、協力の大切さを学び、そして困難を克服するための強さを養ってきました。その指導の下で育った選手たちが挑戦し、成長し、輝きを放ってきたことは、須長氏の指導の質の高さを物語っています。
また、須長氏は戦術のみならず、選手たちに勇気や自信を与えることに力を入れてきました。彼の熱意と情熱は、選手たちに勝利への執着心とチームワークの大切さを伝え、彼らを勝利に導いてきました。須長氏の存在は、単なる監督以上に、選手たちにとっての師匠であり、指導者としての優秀さを示しています。さらに、彼の経験と手腕は成美学園高等學校の硬式男子高校野球部に大きな希望をもたらすことでしょう。彼の実績と指導力は、若者たちの成長と発展に不可欠な要素であり、将来の野球部の成功とそれに伴う選手たちの成長を見据えた質の高い指導が期待されます。

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監督経歴
須長三郎

昭和32年2月 埼玉県東松山市生まれ
昭和48年8月 第55回全国高校野球選手大会出場(全国ベスト4・高校日本代表選手)
(川越工業高校・2年)
昭和50年4月 早稲田大学教育学部入学(1年秋のリーグ戦より出場)
昭和53年10月 東京六大学秋季リーグ戦優勝及びベストナイン
昭和54年4月~昭和56年12月 (株)プリンスホテル野球部1期生として入社 都市対抗野球出場

≪昭和57年1月~平成2年8月≫(8年8カ月)
学校法人秀明学園高等学校に保健体育科教諭として就任
昭和59年 秋季埼玉県大会優勝(私立学校として埼玉県初優勝)
秋季関東地区大会準優勝
昭和60年3月 第57回全国選抜高校野球大会甲子園出場(私立学校として埼玉県初出場)
全国高校野球埼玉県大会 ベスト4(2回)

≪平成2年12月~平成6年8月≫(3年9カ月)
東京農業大学第三高等学校に保健体育教諭として就任
全国高校野球埼玉県 ベスト4(2回)

≪平成6年9月~平成14年3月≫(7年7カ月)
埼玉工業大学深谷高等学校(正智深谷高等学校)に保健体育科教諭として就任
春季関東地区大会出場 2回
全国高校野球埼玉県大会 ベスト4(2回)

≪平成14年4月~平成28年3月≫(14年)
塩原学園本庄第一高等学校に保健体育科教諭として就任
第88回全国高校野球埼玉県大会 ベスト4
第89回全国高校野球埼玉県大会 準優勝
第90回全国高校野球選手権記念大会甲子園出場
第91回全国高校野球埼玉県大会 ベスト8
第92回全国高校野球選手権大会甲子園出場
第93回全国高校野球埼玉県大会 ベスト4
第95回全国高校野球埼玉県大会 ベスト8

≪平成30年4月~平成30年8月≫
埼玉県弁護士会軟式野球部監督を務める。

≪令和1年8月~令和2年1月≫
中国野球リーグ 北京タイガースにヘッドコーチとして就任(コロナの為、退任)

≪令和2年8月~令和5年5月≫
学校法人都築教育学園第一工科大学に教授兼硬式野球部監督として就任

≪令和6年5月~≫
成美学園高等學校 硬式野球設立準備委員長兼野球部監督